完甘美の空腹

raison d'être

凡庸

信仰は、精神の外部に留って人間性の大事な部分を外部の影響から防ぐべく、精神を厚い壁で覆って硬直させる。現代社会ではこういう有様が一般化し、日常化している。

信仰は、新しく生き生きとした確信が入り込む余地を許さないことでその力を示す。しかし、信仰そのものは頭や心に何も齎さない。信仰は、頭や心が空っぽのままである様に見張りを努めることにすぎない。

現代人が私に問いかけるのは、凡庸とは何たるかということだ。すなわち、自分の地位には何が相応しいのか、ということ。自分と同じ身分、同じ収入の人々は、何をするのが普通なのだろうか。或いはもっと下品な問いになるが、自分よりも身分が高く、収入も多い人々は、何をするのが普通なのだろうか。私がここで言いたいのは、現代人は自分の好みよりも世間の慣習を大事にするとかいうことではない。現代人は、世間の慣習になっているもの以外には好みの対象が思い浮かばなくなっているのではないのか、と問い質したい。

そこには何があるというのだ。

何をそんなに大事だというのだ。

何を以て大事だと判断しているのだ。

そこには何があるというのだ。

そこには何があるというのだ、

 

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Pierre-Auguste Renoir "Bal du moulin de la Galette"