完甘美の空腹

自分用 面白かったら感想お願いします

『サンライズ(1927)』考

www.youtube.com

"Sunrise: A Song of Two Humans"

サンライズ(1927)』という都会の誘惑と農村社会の危機を題材にした映画。F・W・ムルナウが監督を務めたドイツ表現主義を代表するトーキー映画で、流暢なカメラワークによる情景描写が絶賛されている作品。

著作権が失効しているので自由に視聴可能。素晴らしいですね。ぜひ観ましょう。ていうか観てから読んでください。

<内容には触れてませんがキャプチャを貼っているのでネタバレ注意です>

 

「祈りとは世界の意義(意味)についての思考である」

論理哲学論考ウィトゲンシュタイン より

 私たちは普段どんなときに祈るだろう。ふつう、我々が祈りを捧げるとき、天を仰ぐか掌を合わせて(あるいはそれを握るか開き)、自分の中には存在しないものへとそれを捧げる形が一般的な祈りだ。捧げる対象は特定の人物であったり、不特定な誰かか、もしくは神や偶像かもしれないけど、自らの人為なしではなし得ないところへ向けて祈る。

 

f:id:imkotaro:20170809222447p:image

f:id:imkotaro:20170809222039p:image

祈っているとき、私たちの祈り(という形)をとっている身体と、内在している思考は間違いなく分離している。思考するとき、何かを思い描きながら、その思考に突き動かされるように祈っている。それは成功かもしれないし、あるいは救いかもしれない。しかしともかく、私たちは祈るとき、未来を、まだ見ぬ世界をみている。

 

f:id:imkotaro:20170809222026p:image

f:id:imkotaro:20170809222511p:image

しかし、本来の祈りとはただ無心になり、その場に包まれ、そこに一体化すること。礼拝堂のような静寂の(あるいは独特の音声が流れている)場での祈りは、外界の煩わしさから隔離されていて、そこには他者も自己もなく、無になることで感覚を研ぎ澄まし、世界について思考することができる空間。

 

 f:id:imkotaro:20170809222528p:image

f:id:imkotaro:20170809222637p:image

身近な例でいえば、お盆の墓参り。夏に蝉の声で辺りが包まれている中で暮石という対象に向かって祈る。始めは親族のことを意識しているが、やがて意識は消え、蝉の音や夏の暑さが顕著になり、無心になる。そして思考を始める。これは間違いなく祈りの1つだ。

 

f:id:imkotaro:20170810013608p:image

f:id:imkotaro:20170810013620p:image

 都市化がもたらしたものの1つに、整備された音声空間の欠如があると思う。現代には静寂の場がほとんどない。静けさというのは一人になり、一人であり、そこに一体化するのに必要な祈るための必須要素だ。絶え間ない喧騒、昼夜を問わない光源、、そこには整然さも、自然的な調和も何もない。

ただ、人というのは適応するもので、生まれも育ちも都会となれば、都会でも静寂を創り出すことができる。満員電車やスクランブル交差点の雑踏では、まるで耳を塞ぎ目を閉じている(見て見ぬふり,知らず存ぜぬ)ような状況に身を置き、孤独を創り出している。つまり、無意識に祈りの場を創り出しているのだ。それを自覚しているかはどうあれ、私たちは祈ることを求めているのかもしれない。

 

 ---------------

8/9 22:27

サンライズ』を観ていると台詞が少ないこと、サイレントなこと、白黒なことなんてすぐに忘れてしまう。それくらい豊かな映像表現で満ち溢れている。

本当に素晴らしい、魅力的な映画。

論理哲学論考 (岩波文庫)

論理哲学論考 (岩波文庫)