「好きこそ物の上手なれ」は半分正解で半分間違い

  テレビでボルダリングの選手の特集みたいなのを観た。20歳そこそこに見えるその日本人は着の身着のままで壁をひょいひょいっと登っていく姿はこいつ本当に人間か?と疑うくらいには異様な光景だった。番組の終盤、世界を転戦するプロボルダリスト(?)の彼はアジアチャンピオンにあと一歩で届かず、それでもインタビューで「やっぱりボルダリングが好きだ。また次、挑戦する」と言っていた。ああ、この人はきっと本当にその競技が好きなんだな、と思った。

  また、以前湘南国際マラソンのボランティアに行ったとき、22歳からマラソンを始めて60歳を超えた今でもフルマラソンの大会に出続けているという人に会った。話を聞くと「いい結果が出ると楽しいし、やっぱり競技はいいものだ」とフルマラソンを完走した後にも関わらず笑いながら言っていた。その人は競技成績は全くだったが、楽しんで大会に参加していた。ああ、この人も本当に競技が好きなんだな、と思った。

でもこの二例は別物。だと思う。

  今までに何か競技をしたという経験はあるだろうか。ちょっとやそっとではなく1,2年以上の長い期間、それなりに身を入れて。競技は競り合って優劣を決めるものだ。そこが楽しいと思うけど、それがまた楽しくなくなる要因でもある。僕は高校に入って何となく陸上競技を始めた。高校から始めた僕は大会ではもちろん結果は出ず、週6回ある練習には真面目に取り組んでいたつもりだったが全く結果が出なかった。あれだけ辛い練習をしたのになんで結果が出ないんだ。頑張った。ちょっとかもしれないけど確実にちょっとは頑張った。頑張ったんだから、そのちょっとぐらいは返ってきてもいいじゃないか。そう思っていた。よく考えれば、返ってくる訳がないのだ。競技はそんな甘いものじゃない。他の選手もそんな甘い考えで競技はしていない。考えてみれば当然のことだった。当時は何となく始めた競技だったから目的がはっきりしていなかった。あれは間違いだったと今でも思う。

  練習は辛い。レースはもっと辛い。だからこそ「なぜ、自分はそれをするのか」という問いに自分の中で答えを持っておく事が重要。不可欠と言ってもいい。だってそれがはっきりしていないと頑張れない。頑張る理由がない。何となくでは何となくの努力と何となくの結果しか生まれない。競技は競うものだ。そこには実力とか運とか戦術とか知識とか経験とか技術とか自信とか、色々な要素がある。本当にその競技で勝ちたいなら、競技で良い成績が取りたいなら、色々学んで工夫して努力するだろう。でも。そうはいかない事もある。わかっていてもそうできない時もある。

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漫画「ハイキュー!!」より

「"勝負事で本当に楽しむ為には強さが要る"」

刺さるわ。勝負事、つまりは競技をしていてどんな時が一番楽しいかってさ、結局誰かに勝った時なんだよね。その一瞬のために頑張れるのは本当に才能だと思う。冒頭で書いたボルダリングの選手はこっち側だろう。強い人の理由。強さの理由。強い故のやり甲斐。僕はまだそれを知らない。

  「好きこそ物の上手なれ」とは言うが、好きでい続けることの難しさを僕は知っている。楽しいだけじゃ続けていられない理由を僕は知っている。

では、冒頭後者のマラソンランナーはどうだろう。競技力では若い人には絶対勝てない。長い事続けているけど同年代の人に勝つほどの実力もない。でも、楽しいから、好きだから続ける。続けられる。これはまごう事なき本物。本物だよ。

競技が好きなのは純粋に競技が好きだからなのか、勝てる競技だから好きなのか。

 

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5/26 12:24  

競技や勝負の勝ち負けは時の運もあるけど、芸術や文芸や音楽などの美術は優劣が競技や勝負の比にならないくらいはっきりする。勝ち負けではないけど、それ以上の歴然たる差を見せつけられる。だから競技も美術も好きだし、嫌いだ。いつになったら自己満足で続けられる域に行けるのか。