完甘美の空腹

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「優しい人」は「優しく」ない

彼女がそうなんですが、いわゆる「いい人」や「優しい人」の大多数は心の中にどす黒いものを持ってると思ってます。外面よくて内弁慶な彼女が「~には~してあげたのに」とか「~が~をする理由がわからない、馬鹿なの?」とか内輪でよく愚痴ってることが多いからだと思うんですが、「いい人」「優しい人」って「~してあげたのに」ってことを大なり小なり感じていますよね。

でもそれって結局のところ、「いい人」「優しい人」がやってることが本当の優しさじゃないってことなんだと思うんです。所謂「いい人」や「優しい人」ってのは、他人に対して寛容で他人のために何かしてあげられる人のことで、例えば困っている友人がいたら助けてあげるような人のことをそう言っているです。でも、もしその友人が助けて当然だとか礼を言わなかったりしたら、その「優しい人」は絶対後で愚痴を言う訳ですよ。「あいつのために助けてやったのにあいつは礼の一つすら言わねえ」と。そこで友人の縁切ろうがまあどうでもいいんですが、やっぱりそれは感謝の言葉という形で見返りを求めてるんですよね。

僕が好きな例え話でこんなのがあります。あなたは空腹で死にそうな状況におかれています。その時におにぎりが目の前に1個あります。近くには同じように空腹で死にそうな状況におかれている人がもう1人います。「優しい」あなたならもちろんそのおにぎりを半分にしてその人に半分わけてあげるでしょう。でも、わけてもらった人は礼も言わずに立ち去ってしまう。そうしたら完全にバカを見て、愚痴るわけです。「あんなやつに貴重なおにぎりをわけてやるんじゃなかった」と。

でも本当の優しさってのは、そこで相手も同じように空腹で苦しいだろうから、もし自分が分けてもらえたら嬉しいだろうからと自分が「勝手に」思っているから、空腹で死のそうな状況でもおにぎりを半分にしてわけてあげることができる気持ちのことを言うと思うんです。そこには相手からの礼とか見返りとかじゃなくて、もし自分がしてもらったら嬉しいからというただ自己満足のみがあるだけ。だからもし礼を言われなくても、相手は嬉しくなかったのかなとかまああれは自己満足だったからと愚痴らないはずです。あとネットで見た話なんですが、国境なき医師団の人も「好きだから」「自分がやりたいからやってる、そうじゃないとできない」と言ってるらしいです。

いや別に見返りを求めてても、偽善だろうが他人のために自己犠牲できることは優しさじゃないのかと思う人もいるかもしれません。けどそれは「優しさ」じゃないです。打算と言います。もちろん自分のやってる行為が打算とわかった上で偽善を行うのは別に止めないし、なんとも思わないですが、ただの打算を優しさと勘違いするのはやめていただきたい。

さらに言うと打算ではないけれど、他人から嫌われないために人に「優しく」してる人。そんな他人に対して我慢しすぎてどうすんの。まあ彼女がこのタイプな訳ですが、程よくガス抜きできないと「私はずっと我慢してるのにあなた達はわかってくれない」的なことを言う訳です。面倒くさいですね。はっきり言うと、他人の気持ちなんて絶対にわかるわけがないんですよ。よく「~だったら、」とか言って他人の気持ちを理解できるエスパーがこの世には多く存在してるようですが、そんなのは幻想に過ぎません。他人とは完全にわかり合うことなど絶対にないし、もしそうだと思ってるならそれば自分のエゴに過ぎない。自分は我慢して他人に優しくしてるとかいうオナニーをした挙句の果てに、私の我慢をわかってくれないなんて爆発するのは迷惑すぎるんで、さっさとその自称「優しさ」はやめてください。

大体日本ですら1億人もいるんだから別に目の前のやつに嫌われてもいいじゃんと僕は思ってます。他の1億人がいるし。そいつとはそりが合わなかったんだからしょうがないと割り切ってます。さらに言えば日本中の1億人から嫌われても全世界には先進国に限定しても10億人ぐらい人はいるんですよ?文字通り”人がゴミのよう”なくらいいる訳です。いや、もちろん目の前の人に対するリスペクトは必要ですが、目の前の人に拘る必要もない訳です。「嫌なやつとも付き合ってかなきゃ…」とか言うけど、じゃあ環境を変えればいい訳で、変化することができないのは甘え。

結局、「優しい」とか言っているけど、大半は打算か甘えな訳ですよ。優しさというか他人に好意からしてあげる行為に対しては、それが自分がしたいからしているという自覚が必要だと僕は考えています。

 

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5/7 22:45 そこらへんどう思いますか?感想とか意見が聞きたいです。

 

5/8 0:31 追記 言及しておきますが、彼女に対しての愚痴や悪口ではないので悪しからず。それと愚痴や鬱憤なんていうのは放っておけば勝手に溜まり続けていずれは決壊するものなんだから適度なガス抜きが必要不可欠です。つまり「愚痴や鬱憤」を「誰か」に「直接」「溢す」、ということ。どれが欠けていてもいけない必要十分条件です。これは男女関係なく誰だってそう。僕然り。真面目にしていれば真面目にされるし、適当にしていれば適当にされる。当たり前なことなんです。だから人の話を真面目に聞いてあげられる、そういう人になりましょうね。そして誰か僕の愚痴を聞いてください本当につらいですよろしくお願いします。

  

それとおにぎりの件については僕の中での答えがでたので書き足しておきます。

  現実ではおにぎりが1個あったら、もう1人が丸ごとかっさらっていってしまうこともある訳です。「半分どうぞ」言ったとしても向こうは「あれは俺が先に見つけたのに」と思っているかもしれない。こちらとしては、全く見返りを求めない優しさのつもりでも、向こうにとっては「半分も奪ったやつ」でしかない。結局、感謝を求めないことをハッキリさせるには「半分は俺が貰う。半分は好きにしろ」という申し出になる。でもこれは優しいと見えなくもないけど、なんだかドライすぎる。だから感謝されて然るべきこと、という共通認識を持てるように伝えるのがベストなんだと思う。「お腹がすごく空いているのですが、あなたも空いているようですね。二人でこのおにぎりを分け合いませんか?」と声をかける。これが今の僕のベストアンサーです。