完甘美の空腹

relish the beauty, kindness, perfect

考えたこと

『ハンナ・アーレント』考

<映画のあらすじ> ユダヤ人であったことから、ナチス政権下のドイツでは激しい迫害を受けていた政治哲学者のハンナ・アーレント。彼女は、第二次世界大戦中にはフランスやアメリカへの亡命生活を余儀なくされていたが、戦争が終わってからは、アメリカで再…

人間らしさ

褒められれば、調子に乗る。ちょっとでも馬鹿にされると、傷ついた、と怒る。すぐ、謝れ、と口にする。思い通りにならないと、不機嫌になる。少しでも叱られると、ふて腐れる。誰からも構われないと、自ら、自分自身がいかに強く、いかに充実し、いかに立派…

自分の「意味」

imkotaro.hatenablog.com 前回からの続きになります。 自分の「意味」を見出すことは、偉いことでも何でもない。ただの不可避性である。若くして、自分の「意味」を見出してしまう人は少ないかもしれないが、私の知る限りでは全くと言っていい程にいない訳で…

「承認」はいらない

imkotaro.hatenablog.com 前回からの続きになります。 自我の渇望からか、傲慢からか、それとも屈託からか、理由はともかくとして、「他人からの承認なんかいらない」「誰彼構わず自分のしたいようにする」という存在の仕方は可能だ。実際、そういう人もいる…

私の大学生活について

大学に入学して3年と少しが経った。私の大学生活も峠を越し、「社会」という不安がだんだんと近づいてくる。まだもう1年あるとはいえ、相応に慣れ親しんだこの生活を捨てる日も近い。この3年間で私がどう変わったか、或いは何も変わっていないのか、少し…

大学における「多様性」について

多様性について思うところを論じたばかりであるが、今度は大学における「多様性」という欺瞞について考えたい。 「大学は、様々な人々が集う多様性に満ちた空間である」などという売り文句がある。これについては何とも虚飾に満ちている言葉だと私は思ってい…

「充実した大学生活」とは

最近、「大学生活がつまらない」「人生つかれた」「明日が憂鬱だ」なんて言葉をよく目にする。ゴールデンウィークが終わり大学から人が減り始める頃、大教室では空席が目立つようになり、対して学生が暮らすアパートや大学周辺の居酒屋が新歓期とはまた違っ…

時間は人を変えていく

毎日やるべき事が沢山あって休む暇も無く働き続けていると「自分って何者?」とか「自分のやっている事の意味とは」みたいなことを悩まなくなってくる。 やらなければいけない事は、それこそ無尽蔵にある。やらなければいけない事をこなしているだけで一日が…

選ばれないことは死ぬこと

選び選ばれるという関係。 人は人を選び、人に選ばれて生きている。人生の最初のステージである家族を除けば、友人として誰かを選び選ばれ、恋人として誰かを選び選ばれ、社会として誰かを選び選ばれ、生きている。それが世界との繋がりだ。人との繋がりを通…

「若者」と「大人」

ある程度の年月を生きてきて、いくつもの季節を一通り過ごしたその積み重ねの上で成り立ってる、そんな自分の人生の現状を受容している人や、或いは、物事の良し悪しに関わらずその経験の蓄積の上に生きている人は、既に「大人」と形容できるだろう。少なく…

「証明」したい人と「承認」されたい人

こちらの記事の続きになります。 自己証明は、他人に認められてはじめて完結するはずだ。恣意的な独り善がりの主張による「快さ」よりも、相互承認の方がもっと大きな「快さ」なのだから。それゆえ、それが可能になるためには一方的な証明意思が抑制されなけ…

フロイト的精神分析にみる「快さ」と「不快」

こちらの記事の続きになります。 人は「快さ」を求め「不快」を避けるという「快感原則*1」に従う、ということを明確に示したのはご存知フロイトである。彼の著書『精神分析学入門』に、こんな一節がある。 私たちは、私たちの「心的装置」の働きに、ある主…

『定本 育児の百科』考

こちらの記事の続きになります。 人間の創成期である赤ん坊には、本能としての「快さ」か「不快」の表明しかない。赤ん坊の泣き叫びや乳児のぐずりは、存在の生理的不快の現れと見て取ることができる。それは意思による表明でも主張でもない。ただ生理の不快…

証明と承認

imkotaro.hatenablog.com こちらの記事の続きになります。 私は、人間の言動の根本的な動機は、それが無意識であろうと意識であろうと、ほとんど全て1つの欲求に起因しているのではないか、と考えた。それは、自分という存在を一人前の、或いはそれ以上の、…

表象について

個人的に専門外の内容で今最も熱いテーマが「自他はどう表象されるか」ということだ。私たちは実に多くの表現手法を持っているが、それらは果たして自らを正しく表しているのだろうか、とかそこら辺に纏わること。 実を言えば、「アイデンティティ」について…

自尊心

私たちは、人に認められるために生きている訳ではない。幸か不幸か、この世の中に生まれてきた以上、誰に認められようと認められまいと、まっすぐな精神をもって自分なりの生涯をなんとか全うすることこそが、「生きる」ということだと思う。 しかし、私はこ…

凡庸

信仰は、精神の外部に留って人間性の大事な部分を外部の影響から防ぐべく、精神を厚い壁で覆って硬直させる。現代社会ではこういう有様が一般化し、日常化している。 信仰は、新しく生き生きとした確信が入り込む余地を許さないことでその力を示す。しかし、…

「今、ここ」を生きる

思うに、幸福とは、生きており、そこからさらにもっと生きていようとすることであって、生きていることの「条件」とは全く違う。「生きる」ということのなかに「強度の差異*1」があって、「生をより強く感じられる生き方」がある。植物や動物や、生きている…

『ないものねだり』孝

DAOKOの『ないものねだり』という歌がある。 www.youtube.com 迷い込んだ森の中で踊るのはワルツ軽く弾むリズム沈む雫にプリズム出ル国 落つる国とっくに記憶の奥に潜り 黙示 遠くにオンリー ロンリー 気づかない いつから 自ら傷だらけな身体は逆さま雨曝し…

「言葉」という言葉

流れとしてはこの記事(前回)の続きで、 内容としてはこの記事の補完になります。 これまで「言語とは何か」という問いについて語ってきたが、述べてきたことを踏まえるとそれはあっさりと答えられるような問いではないだろう。 というのも、「言葉とは何か」…

「振る舞い」としての言葉

imkotaro.hatenablog.com こちらの記事の補足、というか補完になります。 ジョン・L・オースティンという20世紀の英国哲学者によると、言葉は振る舞いの一種であるらしい。例えば、「結婚しよう(Will you marry me?)」という言葉は、婚姻関係への意思やそれ…

言語と音楽

imkotaro.hatenablog.com 前回からの続き。 では、幼児にとっての言葉はどう考えられるだろう。「言葉」の分からない幼児にとって、「言葉を分かる」ということは、声と音の区別のつかないオノマトペのなかから、シニフィエ(signifié)のあるものとないものを…

言葉と振る舞い

imkotaro.hatenablog.com 前回からの続き。 「おはよう」という挨拶や「ありがとう」という礼儀のような決まりきった言い回しや掛け声は、いつかその言葉がどんな意味なのかを考えようとすらしなくなる。とすれば、「おはよう」や「ありがとう」は、ある種の…

「意味」の意味

「意味」という言葉の意味には、3種類ある。ひとつは言葉について語られた言葉としての意味、シニフィエ(signifié)として言葉の分かるという意味。次に、過去やそこでの振る舞いについて物語られた出来事の意味、思考が分かること。そして、音楽など感覚する…

『JK』考

あさ かじかむ指先にぎるハンドルスカートの中を通り抜ける空気 重たい瞼をあけて明け方の街走る女子高生冷えきったサドルが発育途中の身体震わせるの 顔や身体 骨の形足のはやさ あたまのよさ なにからなにまで違うもの同士 こうして同じ衣装身にまとって同…

『ラムネ氏のこと』考

高校の国語の授業だったか、坂口安吾の『ラムネ氏のこと』という随筆を読んで感銘を受け、安吾の世界に浸るきっかけになった。その頃はまだ安吾が小説家とは知らず、洗練された筆力を持つ作家だと勘違いしていたのはまた別の話。まあ、安吾の文章はそれくら…

『サンライズ(1927)』考

www.youtube.com "Sunrise: A Song of Two Humans" 『サンライズ(1927)』という都会の誘惑と農村社会の危機を題材にした映画。F・W・ムルナウが監督を務めたドイツ表現主義を代表するトーキー映画で、流暢なカメラワークによる情景描写が絶賛されている作品…

自己を放棄するということ

imkotaro.hatenablog.com 続きの続き。これでこの話は終わり。 さて、このへんでやめてもいいのだけど、もう少しだけ自分が考えていたことについて付け足しておきたい。 自我を捨てて、相手と向き合うとき、自分の動きを起動するのは全て相手ということにな…

自我を放棄するということ

imkotaro.hatenablog.com 以前の記事を掘り下げた話。 例として、水を飲むという動作における自我のあり方について考える。 「喉が乾いたから飲みたい。そう思ったからコップに手を伸ばす。」 これが一般的な理解だが、脳波的な解釈によるとこれは逆らしい。…

「カッコイイ自分」という偶像崇拝

「偶像崇拝」という単語を見ると魯迅の『故郷』を思い出す。閏土は生きる気力を失い、希望も展望もなく祈っているからその小さな願いはたやすく叶う。一方、「わたし」の願いはぼんやりしていて叶いにくい。しかし、考えてみれば「わたし」の希望も積極的に…